ネクサスブログ

31

May

俳句はまず予備知識から

 

こんばんは、山村です。

 

さて今回は俳句の話。といっても、実は私、俳句を嗜んでおりまして…ということではありません。たまには知っておいて損はない内容でも書こうかと思い、唯一使えそうな話をチョイスしてみました。俳句のテストで苦い思いをされたことのある方、必見です。
俳句にはご存じ、季語と切れ字、というものがあります。学校の授業では季語は「季節を表す語」、切れ字は「意味の上の切れ目」と定義されているものですが、そもそもこれは何のためにあるんだ!と思う方も多いはずです。
それで今回はそれらの成り立ちについて少しご紹介します。この問題については諸説あるようですが、私が一番なるほどなあ、と思った話です。
そもそも俳句の起源とはなんぞや?というところから話は始まります。端的に言えば和歌、ということになりますがより深く関わってくるのは連歌(れんが)という存在です。その名の通り、歌を次々とつなげていく形式のものです。和歌は57577で構成されますが、連歌はまず

 

1人目が最初の575を詠む(発句ほっく) → 2人目が続きの77を詠む(脇わき) → 3人目がまた575を詠む → (繰り返し) → 最後の100人目が77を詠む(挙句あげく)

 

というように、順々に内容をつなげながら100句詠むという形式が一般的です。そして100句の中で最も重要なのが1句目の発句と呼ばれる575です。詠む人の力量が試されます。(実力者は脇句を詠むことが多いですが)

 

さて、勘の良い方はこれでなんとなくわかったかもしれませんが、この発句がそれだけで詠まれるようになったもの、それが俳句(575)です。

 

 

しかしそれにしても連歌はなぜそんなにたくさん詠む必要があったの?と思われるかもしれませんが、和歌というのはそもそも1人で詠むものではなく、大勢で詠むものです。良し悪しを決めることもありますが、みんなで歌を通じて同じ空間にいることを楽しむことが大きな目的です。そして、ちょっと想像してみてください。たくさんの人が集まる場で、中心的人物が最初に一言。何を言うと思いますか?・・・そう、あいさつです。しかも季節に関してのあいさつです。発句にはこれが書かれています。

 

つまり、この季節のあいさつが連歌の発句では行われており、それを俳句も継承していて、それが今日の季語になった、ということなのです。俳句が100句目をもとにしたものだったら、季語はなかったのかもしれません。それほど俳句と季語は密接に関わっています。

 

発句が特別なものであることは「切れ字」の存在からもわかります。切れ字はそもそも俳句のどこにおいても大丈夫なのですが(芭蕉さんも言っています)、大切なことは俳句の中にあるということです(句切れなし、という場合も実は句の最後で意味が切れています)。なぜそれが大切なのかというと、発句は先ほどから言っている通り、2句目以降の句とは違った存在だからです。それひとつで句として完成しなければいけないので、情景がぱっと浮かび、話がひとつ完結したような印象を与える必要があります。たとえば

 

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声   松尾芭蕉

 

の句では「や」が切れ字です。「静かだ。蝉の声が岩にしみ入るようで」のように考えると、まず静かさがぱっとイメージされ、そのあとに情景が浮かびます。ひとつの話が完結しているように思えるのではないでしょうか。切れ字自体に意味があるというよりは、そういった完結性を表す方法として用いられています。「閑かさや」だけでも「岩にしみ入る 蝉の声」だけでもなく、すべてが合わさって意味をなしているのです。そしてその手伝いをしているのが切れ字というわけです。

 

ということで、季語も切れ字も「形式としてそう決まっていること」ではありますが、元々の存在意義もきちんとあるものなのです。だからどうか俳句を嫌いにならないであげてください。いろいろと面白い句もあるので探して楽しんだりしてみるのもいいかもしれません。

 

 

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